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【プレゼントの渡し方】お年寄りの心は難しい

お年寄りの心は難しい

実家で両親と一緒に暮らしている祖母に、敬老の日のプレゼントはもう要らないからねと言われました。

そう言ったのは社交辞令のようなものだと捉えた私は、例年通りプレゼントを贈りました。しかしそれが本当にいらなかったと言って怒ってしまったのです。

本心がどこにあるのか理解しきれていませんでした。

 

プレゼントをして祖母を怒らせてしまった

毎年敬老の日にはお茶を贈っていました。毎日会えるわけではないから、いつまでも元気でねという気持ちと、純粋に喜んでほしいという気持ちからしていたことです。

祖母からも、いつもありがとうとお礼のお手紙をもらっていました。

しかし、ある年の夏休みに帰省した際、もう敬老の日には何も贈らなくていいからね、その分を自分のために使ってねと言われました。

手紙もくれていて、喜んでいたのだから、その断りは社交辞令だろうととらえた私は、翌年も同じようにお茶を贈りました。

すると、いらないと言ったのに何で送ってくるんだと怒ってしまったのです。

同居している両親に怒りをぶつけていたようでした。

 

祖母の本心はどこにあるのか

祖母の発言を本心ではないととらえてしまった私に問題がありました。

どのような状況であれ、プレゼントを受け取って嬉しくない人などいないという固定概念を持っていたのです。

そして祖母であれば、私のすることは全て喜んでくれると思い上がっていたのかもしれません。

両親は、年を取ると感情の起伏が激しくなるし、ああ言えばこういう頑固者になるから仕方ないと言っていました。

確かに以前の祖母ならば、そんなことで怒ったりしなかったと感じるのも事実です。

しかし、それならばそれで、お年寄り特有の感情を理解できていなかった私にやはり落ち度があります。

発言の裏を読むのではなく、素直に受け取って良かったのでしょう。

 

その時々で気持ちは変わる

まず、プレゼントは贈らないと決めました。

贈って怒られたのだから当然と言えば当然です。

しかし、その一時の感情によるものだとしたら、たまたまいらないと言ってしまっただけということも否定できません。

つまり、何も贈らなかったら贈らなかったで、気に入らないということもあるかもしれないと考えたのです。

そこで、その翌年からはお手紙を送ることにしました。

祖母の好きそうな綺麗な絵はがきを選んで購入し、一言添えて贈ってみました。

それはそれはとても喜んでもらえました。

それが社交辞令ではなく本心だと確信できたのは、両親に文句を言うこともなく、また、毎日眺めていますとお手紙で返信が来たからです。

 

放っておく?話し合う?

気持ちの変化という部分に重きを置けば、この状況を放置することもできたのかもしれません。

自分の気持ちに正直になり、根気強くプレゼントを送り続けていれば状況は自然と変化していったでしょう。

祖母もそのうちに疑問を抱くことなくプレゼントを受け取ってくれるようになったかもしれません。

または、私が祖母から直接怒りをぶつけられたわけではなかったので、祖母に直接話を聞いてみるのもよかったかもしれません。

どういう気持ちだったのか、何が気に入らなかったのか、面と向かって話し合えば、誤解することなく話し合うことができ、解決策を見つけることができたでしょう。

しかし、遠くに住んでいるためにそうすることが難しいのが現状です。

手紙を送るというのは我ながら良い解決策だったと考えています。

 

人付き合いは一筋縄ではいかない

祖母と私は60歳ほど年が離れています。

ただでさえ人の気持ちを理解することほど難しいものはないのに、半世紀以上年の離れた相手ならばなおさらのことではないでしょうか。

自分の気持ちをストレートにだけ表現していればこのような問題は起きないのかもしれません。

今回は、気持ちの深読みをしていた私に落ち度がありますが、以前の祖母はそんな風に怒ったりすることもありませんでした。

年を取れば考え方も、性格さえも変化していくもののようです。

今回は、相手の発言からその人の気持ちを理解することの難しさを学びました。

そして、年を取っていくことは、想像を遥かに越える複雑さが伴っていることを学びました。

 

親族でも自分以外はみんな他人

人の気持ちは難しいとはよく言いますが、家族や親族でも、それは同じことが言えます。

気持ちがはっきりと理解できるのは自分だけで、自分以外の人は、その人の発言や態度などから推し測らなければなりません。

それによってトラブルが起きることのないように細心の注意を払うべきなのは、言うまでもないでしょう。