戦術スクール

【厳しくする叱る・苦しみを与える】ではない!

Hola a todos!!

僕が高校時代に経験した毎日のように“怒られた(叱られた)”こと、その“苦しみ”によって自分は成長できたのか?

「あの苦しい3年間があったから今がある」という言葉に対する違和感をずっと抱いていました!

絶対的な権力を持った先生(監督やコーチ)がいる中で、OBである元日本代表の楢崎さんは「我らが天皇」と表現してした存在がいる環境下では<主体的><自律的>な取り組みはありませんでした!

そんなことが出来る余裕や隙がないので、考えることすらありませんでした!

そして「3年間くらいはサッカーだけに集中しろ」と(ある意味)脅迫され、高校を卒業すれば(当たり前だけど)責任を取ってくれるわけではありません!

そのような環境の中でどのような力が育ったのか?!

誰もが“苦しい”3年間を肯定したいので「あの3年間があったから」「あの3年間より苦しいことはない」「だから頑張れる」という言葉を聞きますが、本当なのか?!

すべてを否定するわけではないですが、感情的な思考だけでなく冷静に、俯瞰して効果を分析する必要があると思います!

そこで「これやーーーー‼️」「そうそう!そうやねん!」と思えることが書いてある本との出会いが村中直人さんの【叱る依存がとまらない】でした!

子どもにどうしても叱ってしまう人や、過去に叱られた経験がある方、子どもに関わることがある方には是非読んで頂きたい1冊です!

僕たちが経験してきた“苦しみ”は自主的なものか、他者から与えられたものか?

“厳しさ”の本来的な意味とは、「妥協をしないこと」や「要求水準が高いこと」だからです!

要求水準を高く保つ事は、相手にネガティブな感情を与えなくても可能です!

“苦しみを与える”も同じことで、厳しくする=“叱る”“苦しみを与えるではないのです!

そして、苦しみが成長につながるのは、それが他者から与えられた時ではなく、主体的、自律的に苦しみを乗り越える時です!

その時に周囲の人間ができる事は、本人が「やりたい」「欲しい」と感じる目標を見つけるサポートをすること!

そして目標を目指す“冒険”を成功させるための武器を与え、道筋を示すことです!

繰り返しますが、『叱る』がなくても厳しい指導は可能です!



また、罰で人は変わりません!

「変わらない」は言い過ぎだとしても、少なくとも前向きな学びや成長は促進されません!

重い罰を与えれば、人は大いに反省し、自分を見つめ直して良い方向に変わるのだという考えは、幻想なのです!

別の言い方をすると、この考え方は、人が自分の処罰感情を充足させるために生み出した、叱る側の(罰を与える人の)無意識の願望である可能性が高いのです!

人が本心から変わろうと思えるためには、少なくとも、自分を受け入れてくれる「仲間」と、いろいろな意味での「ゆとり」が必要です!
#叱る依存がとまらない

それではHasta luego–!!