Hola!!
学校で先生から出される『宿題』と、サッカーの指導者から課される『ノルマ』には同じ効果があると感じます!
- 宿題を提出しなければ、怒られる
- ノルマを達成しなければ罰走がある
どちらに関しても自分自身の意思で動いているわけではなく、“やらされている”状態です!
『宿題』や『ノルマ』を子どもに課すことの本来の目的はどんなところにあるのでしょうか?!
『宿題』を廃止したわけ~型破り校長の改革論~
公立中学校で定期テストや宿題、固定担任制の廃止などの取り組みをされている、千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長先生の記事がこちらです!
↓↓↓
https://news.1242.com/article/202530
- 宿題は何の役にも立たない
- 宿題がなかったら、自分で必要なものを勉強するようになる
- 宿題があることで自分の大事な時間が奪われる
- 宿題を出されたら、宿題をこなすことが目的になる
“学力の向上”や“人生における学び”にとって大切なことは、「わからないことが、わかるようになること」や「学ぶことの楽しさを知ること」です!
しかし、子どもたちにとって『宿題』は“提出すること”が目的になるため、わかることをやって、わからないことは飛ばします!
これが“学力の向上”や“勉強をする習慣”に繋がるでしょうか?!
そして、さらに危険だと感じることがこの記事に書かれています!
↓↓↓
日本のように無駄かもしれないことをこなすことが目的になっていった子どもたちは、問題解決ができるでしょうか。ずっと「あなたはこれがわからないから、これをやりなさい」と言い続けられるわけです。日本の子どもたちは「先生、僕、明日から勉強するよ」と言って塾へ行くわけです。これが笑い話ってわかりますか?
学校で勉強しているのに、それと同じことを塾へ行ってやるのかと。でも、現状みんなそう思っているのですよ。
与えられることに慣れた人間は、与えられる質に不満を言うようになるのですよ。
担任の先生が決まっていると、与えられたものだから必ず不満を言うのですよ。担任の先生を比較することになるので、必ず不幸な先生が出てきます。どんなに優秀な教員を集めたって、あの先生は優秀でこの先生は優秀じゃない、と決まってきます。人は、誰かからあてがわれたものに不満を言うようにできているのですよ。特に日本はいろいろなことが与えられ続けて育っているので、不満を言うのが大好きなのですよね。何かに不満を言って、勝手に不幸になっていく。勝手に理想を抱いて不幸になっていくのが、いまの子ども、大人の世界ですよね。
わからないことをわかるようにすることが大事なのではないか。わからないことをわかるようにするとき、子どもはどういう行動を取るかというと、いろいろな人に聞きに行くという。そういった主体的なアクションを子どものときに考えさせることが大事なのではないか。
自分で考えることをせずに、誰かの(何かの)せいにしてしまう習慣がついてしまうことはとても危険だと思います!
『宿題』をこなすことが目的になり、分からないことは分からないままに!
そして、例えばテストの点数が悪かった時には、“こんな宿題を出していた先生がダメだ”という言い訳をしてしまう!
そしてさらに、自分で学ぶというよりも塾に行ってさらに“教えてもらおう”とする!
本来、子どもたちに求める“学力の向上”や“学ぶ習慣をつける”という目的を達成するには、
【自ら考えて、意欲的に学ぶ姿勢】が大切で、【勉強したい】を思える環境を作ることが大切だと思います!
サッカー強豪校で行われる『ノルマ』とは
そして、スポーツの世界でも同様の問題が起こっていると思います!
~サッカー強豪校で行われる『ノルマ』の実態~
↓↓↓
http://keikun028.hatenadiary.jp/entry/futbol_japon13
『ノルマ』とは例えば、「この試合で負けたらグランド10周走る」という課題を出されて試合をするというような状況のことです!
こういったことはサッカー強豪校に限らず、スポーツの世界では日常的にあることだと思います!
僕自身も試合に負けたら走らされ、ミスをしたら交代させられ、監督の思う通りのプレーが出来なければ練習からも出されるという経験をしたことがあります!
スポーツの指導者は、スポーツの魅力を伝え、生涯スポーツに携わる人間を増やすことが大事な役割ではないでしょうか?!
しかし、指導者がスポーツを嫌いにさせ、辞めさせてしまうような指導を行っている現状があると思います!
好きこそものの上手なれ
勉強にしても、スポーツにしても“好き”という気持ちがあるからこそ継続することが出来るし、意欲的に取り組むことができます!
『宿題』や『ノルマ』といった、現代の言葉でいうパワハラと同じような他からの圧力によって動かさられているようでは子どもたちは成長しないし、「意欲的に取り組む」「継続していく」という本来の目的は達成できません!
激しく変化する社会に対応していくためにも、過去の“当たり前”を見直して、新たなことに取り組むチャレンジは未来の子どもたちにとっては大切なことだと思います!
子どもたちに学ぶことを求めたいのであれば、まずは大人が学ぶ姿を見せることが大切だと思います!
みんなで学び、成長できる環境を作っていきましょう!
『子どもたちの未来のために』
ten*TEN 「子は宝」
tesoro(宝)・esperanza(希望)・ niño(子ども)
adios!!